階段

どの階段も多かれ少なかれ天へと向っています。
「ここ」から「彼方」へと誘うもの。
この階段を昇るとどんな世界へと通じているのだろう、そして昇った後を振り返るとどんな風景が広がるのだろう、と絶えず想像力を喚起させてくれます。

階段とは人間の意志と力によって積み上げられたもの。地球上のあらゆる文明は皆階段を創ってきました。つい最近まで階段はその文明の力の象徴でした。JHON TEMPLERによると、建築の重要な要素としての階段のピークは17世紀バロックの時代だったという事です。それ以降、階段の重要性は衰退を続け、モダニズムを経て現代建築では空調や配管のような設備のひとつとして裏側に追いやられてしまいました。それとともに人間の繁栄もそろそろ終焉に近づいているように私には思われるのです。

今回の作品ははじめに描いた想像上の階段以外はすべて旅先で出合った階段です。文化の殿堂を誇って傲然と立ちはだかる階段、今はもう人が昇り降りする事も無くなり昔の賑やかだった日々を夢見ている階段、数百年人々の営みを眺めていた階段、オスカー・ワイルドがこの世の最後に昇った階段・・・どの階段にも歴史と物語があって、それがそれぞれの階段に人格を与えているように見えます。


暗闇

暗闇というのも今日次第に人々の生活空間から排除されつつあるものです。暗闇を恐れ、嫌う人も多くいますが、それは自分にとって未知の世界が怖いからでしょう。でも本当はくらやみというのは、静けさと気配に包まれた豊かな空間で、イマジネーションや物語の宝庫です。そんな暗闇を自分たちの生活から追い払おうとするのは自らの想像力を貧弱にする、つまり生活そのものをやせ細らせてゆく事だと思います。自分とは異質のもの、わけの判らない未知のものと隣り合わせに暮らす事こそ、私たちの生活をより豊かにするために大切です。今日の日本で階段の上に暗闇を頂くような家に暮らすというような贅沢はなかなかできませんが、私が幼い時、庭続きの隣に伯父の家があって、それはいたる所に暗闇の漂っているような家でした。誰もいない長い廊下、その奥の電話室、扉の開かない書庫、めったに使用しない玄関、そして屋根裏部屋へと続く階段! 私はひとりでそんな暗闇に迷い込んでは、その静けさと気配とに耳を傾けていました。しばらくしてお茶の間に戻るとそこでは大人たちがお茶を飲んだりおしゃべりしたりして、私はふいに日常へとひき戻されました。このお茶の間あの暗闇の世界とが並列に存在しているのが子供心に不思議だったのを憶えています。そして大人達に混じり明るいお茶の間でお菓子などを食べているのですが、自分にとってはあの暗闇の世界の方が本当なのだろうと感じていました。というより同じように現実だったのでしょう。あちらの世界とこちらの世界との両方があって、自由に行き来しながら私は幼年時代を過ごしました。私にとって豊かな暗闇とそこに通じる階段とは、自分の原体験を描写する「失なわれし時」なのです。


鉛筆

何故、鉛筆で描くのか聞かれます。
暗闇というのは幾重にも重なった空気の層から成っています。その層を成した暗闇を描くにはやはり幾重にも筆を重ねる以外ありません。鉛筆の一本一本の線が層となり空間となってゆきます。そしてその空間を描くのにある程度の時間とエネルギーが費やされる事が必要です。一見無駄に見えるような作業ですが、この積み重ねを経ないと、言葉にならない気配や物語の詰まった暗闇になりません。また最終的には黒く塗りつぶされてしまうにも拘らず、階段はその細部の装飾まで、しっかりと描き込んでから闇の層を重ねます。何も描かずにただ黒く塗り潰せば、そこには何もない、ただの黒い平面になってしまいます。
私が描きたいのは未知なる空間と、それに費やされた時間と言えます。

 
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